ハイヤ節
牛深が発祥で祝いの席はもちろんのこと、まんなわし(縁起直し)でもハイヤがよく踊られる。曲調は、奄美大島の六調「天草」とよく似ている。昔から風と汐に乗って南方に行けることを知っていた牛深地方の人々は、海の幸を求めて荒波を乗り切っていました。それらの産物といっしょに持ち帰った南国のリズムに当時、熊本を中心に唄われていた二上がり甚句で味付けをし、独特の節回しを持つ牛深ハイヤ節が生まれた。 元禄の頃からこの天草島に生まれ育ち、島の津々浦々、港々の酒盛りや大漁祝いに唄われ300年の長い歴史を持つ郷土民謡で、江戸時代の末期には大阪から鹿児島を上り下りする九州西回りの帆前船、更には大阪から北海道を往復する北前船の船乗りさん達によって天草のハイヤ節が全国に広がった。 代表的なものとして徳島の「阿波踊り」や淡路島の「阿波踊り」があげられる。歌詞・リズム・踊りもそれぞれの土地で独自の発展を遂げた為、天草のものとは少し異なっている。
ハイヤの語源
天草地方は春先に南風「ハエ」の風が吹く。
それが「ハエヤ」となり、やがて訛って「ハイヤ」となったといわれている。歌詞の中には、船乗りさん達の身を案ずる女性達の思いや願いも込められているロマンに満ちた部分もあり、リズム・踊り・歌詞のどれも素晴らしく三拍子そろった郷土芸能である。
天草本渡のハイヤ祭り
昭和41年9月の天草五橋開通記念として披露されたのが始まり。
昭和43年から毎年夏まつりの行事のひとつとして7月の下旬の土曜日と日曜日の2日間、銀天街を中心に行っていた。
運営委員会メンバーが、長年の夢として掲げてきた「国道でハイヤ踊りを」という大きな目標を達成し、平成10年から国道324号線の市役所前から天草信用金庫まで踊るコースに変更した。
市民の祭りとして立ち上げられた昭和40年~50年代から参加団体は30から40団体で、人数にして3,000人から4,000人で練り踊っていた。
最近は、旧本渡市内にとどまらず天草島内、熊本県内外から多くの方がこの本渡の祭りにお越しいただけるようになった。
天草ほんどハイヤ祭りは、天草市の産業の振興、観光の開発及び周辺地域の交流と親善を図り、併せて市民総参加による一大行事として、毎年開催している。